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アニメの中のキャラクターと共に踊るということ | 『血界戦線』エンディングがアニクラにもたらしたもの

あけましておめでとうございます。あさのあっぴーです。

2016年はブログが来る!ということで今年は、はてなブログでいろいろと書いていこうかと思います。よろしくお願いします。

さて、新年一発目のネタは、昨年のアニソンクラブイベント(以下アニクラ)のアンセムといえばこの曲!血界戦線エンディング曲《シュガーソングとビターステップ》についてです。

登場キャラクター達が愉快に踊り狂うあのエンディング映像を足がかりに、アニクラにおけるダンスについて考えたいと思います。

 

UNISON SQUARE GARDEN / シュガーソングとビターステップ(血界戦線エンディング曲)

こちらの曲ですね。MVの方はあまり馴染みが無いかもしれません。例のエンディング映像は単体で上がっていないようなので、ニコニコ動画で無料公開中の10.5話を最後の方まで飛ばして見てください。

【ニコニコ動画】血界戦線 #10.5 特別編「それさえも最低で最高な日々」

◆振り付けの向こう側

血界戦線のエンディングを改めて見ると、やはりサビでのキャラクター達の動きは眼を見張るものがあります。

サビに差し掛かると、お酒でゴキゲンになった彼らが肩を組んでバラバラのラインダンスをみせます。かと思いきや、一斉に乱痴気騒ぎ状態になって、各自がバラバラの動きを始めます。

このサビでの乱痴気騒ぎ状態こそが、アニクラ的には大事件であると私は考えます。

 

unlimited blue text archive:アニメがダンスを手にした日 『血界戦線』エンディング作画の中にある物

エンディングの作画については細かく分析されてる方がいらっしゃるので、こちらを参考に。こちらの記事の要点をまとめると以下のとおりです。

①昨今のアニメでは、たとえアイドルものでなくとも、オープニングやエンディングでキャラクターを躍らせることは当たり前だし、作画技術も進化していて見応えのあるものばかりである。

②しかし、これだけダンス作画が進化しても、本物のダンスを見るような感覚を味わえないのはなぜなのかという引っ掛かりがある。

③そんな中、血界戦線のエンディングは「酒飲んで、仲間が居て、楽しいから踊ってしまっ」ていることが見事に描写されている。代替可能な人形として、特定の振り付けを踊らされるアイドルアニメなどのキャラクター達とは違って、血界戦線のキャラクター達は、ダンスの素人であり、お酒も入っていてちゃんとは踊らない。それ故に、内面の衝動や動機が肉体の動作から汲み取れ、それには人間であろうと絵であろうと両者に違いはない。

 

アイドルアニメのキャラクター達も、血界戦線のキャラクター達も、どちらも踊っていることに違いはない。しかし、アイドルアニメのキャラクター達が振り付け通りに完璧に踊るのに対して、血界戦線のキャラクター達は、振り付けなんて何のその、「振り付けの向こう側」とでも呼ぶべきような領域で乱痴気騒ぎであります。

では、この血界戦線のエンディングはアニクラに何をもたらしたのでしょうか?

 

◆画面の向こう側とこちら側

アニクラにおけるダンス、あるいは身体の所作について考えたいと思います。

アニクラにおいては、VJが映し出すアニメ映像の動きを真似するという振る舞いがあります。例えば、キャラクターの踊るオープニングやエンディングがかかると、その振り付けを真似して踊ります。《ハレ晴レユカイ》やプリキュアの曲でみんな一斉に踊りだすとか。いわゆる振りコピというやつですね。

振りコピまでいかなくとも、特定の動きを真似することは良くあります。例えば、マクロスF星間飛行》の「キラッ☆」や甘城ブリリアントパークOPのサビでのクラップ、《回レ!雪月花》の回るやつなどなど。こうした曲がかかるとオーディエンスは一斉に同じ所作をするのでフロアの一体感が強まります。

つまり、アニクラにおけるオーディエンスの身体の所作に着目すると、ダンスフロアにいる我々が、アニメのキャラクター達の動きや振り付けを真似るという回路があります。それは、キャラクターに自身を重ねあわせるというよりは(もちろんそうした側面もあるけど)、むしろフロアの一体感や共有感を楽しむために行われているといえるでしょう。

また、曲によっては、いわゆるコールと呼ばれる掛け声が行われたりします。アイドルものに多いといえるでしょう。画面の中で踊るキャラクター達に対してコールを打つわけです。こうしたコールは、先述したキャラクターの動きや振り付けの真似ではありませんが、一体感や共有感がもたらされます。どちらにしろ、アニクラにおいては、さまざまな所作を通じて一体感や共有感を楽しむ傾向にあります。

 

◆パーティは次元をも越境する

では、血界戦線のエンディングはどうなのだろうか。

カギを握るのは先述した「振り付けの向こう側」です。

アニメ作中におけるさまざまなダンスが特定の振り付けを完璧に踊るものであるのに対して、血界戦線のキャラクターたちは、酒を飲み、へべれけになりながらパーティを踊り楽しみます。

これはつまり、アニクラのフロアにいる我々と同じ状況が画面の向こう側に広がっているということです。

パーティを楽しんでいるキャラクターが各々いい感じに踊っているのを見て、ダンスフロアにいる我々もそのパーティの楽しさを分かち合うのです。

血界戦線のエンディングが流れると、ダンスフロアにいる我々も肩を組んでラインダンスを始めますが、それは単純に、アニメのキャラクター達の動きや振り付けを真似るという回路が働いているというわけではありません。むしろ、画面の「向こう側/こちら側」といった隔たりを無くすような、レオたちと一緒にパーティを楽しんでいるような一体感が形成されます。ここに今まで無かったような画面の向こう側との関係性が作られます。

ひとことで言うと、エンディング映像でパーティを楽しんでいる様子を見て我々も楽しんでいる、ということです。楽しむ他者を見て自身も楽しむ、という構図は、テレビのバラエティ番組などに巧妙に取り込まれていますが、そうしたメディア性がうまく発揮されているものの一つといえるでしょう*1

「南南西を目指してパーティを続けよう」という歌詞はもちろんですが、このようなパーティを楽しみ踊る描写があることがアニクラの大アンセムたる所以に違いありません。

◆まとめ

血界戦線のエンディング映像が描いているのは、単なる振り付けを踊る代替可能なキャラクターではなく、各々が活き活き動き、乱痴気騒ぎを起こすパーティの様子である。

②アニクラでは、VJが映し出すアニメ映像が重要。キャラクターの振り付けを真似することで一体感が生まれる。

血界戦線のエンディング映像は、愉快に踊るキャラクターたちが描かれており、単に振り付けを真似するという次元ではなく、画面の向こう側のキャラクターと共にパーティを楽しむというこれまでに無かった構図が生まれる。

 

さて、そんなことで2015年といえばこの曲!という感じでしたが、2016年はどんなアンセムが生まれるのでしょうね。楽しみです。

次回はちょっとアニソンから離れて、クラブミュージックの話をしようと思います。

ではでは

 

 

*1:例えば、バラエティ番組の多くでは、観客の笑い声が度々挿入される。これは笑いどころを視聴者に示すとともに、出演者の発言で笑う観客の存在を感じることで視聴者は笑うことができるというやや複雑な構図を作り出している。